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私がいないと‥

日曜の朝、おはようございます。
これの心地よい筋肉痛が翌日きたので、ほっとしてます。

さて、昨日歌詞から「同じことをずっと歌ってるんだなぁ(同じのをずっと聞いてきてるんだよね)」みたいなMCあって(うる覚え)、私がライブにハマる要素が変わってないことにも気づいたので、ここでも今も昔も定期的にいただくお声も(一度書いたしとか思わず)気になったら、改めて書きたくなりました。

時々あるご相談の一例は「残る社員が(業務が増えるので)かわいそうで(辞めたいのに)辞められない」というものです。
家族(/友達/社会)が困るから系も、くくると同じ類です。

これ本来は(社員を募集する側の)経営陣が考えることで、一社員が退社の際に、責任感じなくていいことくらい平常時は分かっても、渦中では気になって動けなくなるあるあるですよね。

昔の私も、お客さんに迷惑かかるという理由で(もっとあるけど)、即辞めておかしくない異常な状況下でも、長い間決断ができませんでした。

ただ、自分もうわぁ恥ずかしいって後で気づくことなんですが、「周りが困るから」のセリフの背後の潜在的な気持ちに気づくと、他人の状況関係なくさっと辞められます。

何かというと、、、

その状況を手放すと自分に不都合なあることがあるんです。

実は、この辞められないという状況があることによって「私いないと困るでしょ?」というねじ曲がった必要とされてる感覚を味わえるんです笑。
その状況ないと自分の価値を実感できないくらい、自分の価値を自分が認められてないだけなんですけどね。

ただ、息吸う肉の塊としての自分に、価値があることを認められると、何か人から頼まれても、自分がやりたいかどうかだけでやれる(困るでしょ?状況を無意識にも作らない)ので、何をやっても楽しめるんです。

ただ、最近は自分の予想外出費もあったりで「好きに動ける環境をもっと続けるため」というモチベーションで、昔依頼されてたことなども、また個人的に再開しても面白いかも?とは考えたりしてます。

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