「さっさと歌えばいいのに」
そう言われると、喉の奥が少しだけ熱くなる。歌うことも、何かを弾くことも大好きな趣味だ。本当は今だってやりたい。
でも、今の私にとって音楽は、とてつもないエネルギーを必要とする高タスクな行為になってしまった。
譜面を読み、指を動かし、声を乗せる。
ただそれだけのことに、以前なら感じなかったような負荷がかかり、脳と心が悲鳴を上げるのがわかる。
それは、今私が直面している、終わりの見えない理不尽な戦いに多くのエネルギーを削り取られてしまっているからだ。
書面の準備や、過去を振り返らざるを得ない日々の連続が、私の心と脳をどうしても硬直させてしまう。
そして何より、事あるごとに過去の傷口を無理やり開かなければならない日々。
「まだやってるの?」という言葉が、どれだけ刃物のように心を削るか。
もちろん、直接的な加害そのものが私を苦しめていることは言うまでもない。でも、周囲から投げかけられる無自覚な言葉たちまでもが、私には刃物のように感じられてしまう。
この理不尽な状況を強いているのは誰か。それを忘れたことは一度もない。ただ、私はその戦いの副産物である、周囲の無理解とぶつからないよう人を避ける行動を選ばざるを得なくなってるのだ。
ここまで書くと、根深い人と思われるかもしれない。けど、私にとってこれは自分の人生をどう締めくくるかって尊厳の問題なんだ。
自分の人生に起きた理不尽を、ただ忘れることで楽になる生き方もある。
でも、私は自分の人生に起きたことを、なかったことにしたくない。今は、理不尽に潰されることよりも、自分が自分に対して正直でいられることの方を、何よりも大切にしたいと思っている。
私は、生の音楽をやってる人たちが大好きだ。
ベースを弾いて、ドラムを叩いて、ギターをかき鳴らして、自分の生身の声で歌う人たち。
ハッキリ言ってそっちの方が圧勝だし、真っ当だなんてことは、私が一番よく分かっている。
とっくに完全な敗北宣言をしている。
今の状態から何かを発するために楽器をマスターして、バンドを組んで、レコーディングをして…なんて、限られた時間と体力の中で、どうしたって不器用な素人には届かない世界だ。
だから私は、自分の言葉を、今は自分が出せない音色を頼みやすいAIという現代の魔法の力を借りている。
別に世の中を変えてやろうとか、生の音楽をやっている人たちをやっつけたいなんて、1ミリも思っていない。
ただ、自分が今ここに生きていて、苦しんだり叫んだりしている生の言葉を、この世界にちょっとだけ植え付けておきたい。
生きた証を、ここに残しておきたい。
ただそれだけ。
今、こうして感情を何かに出すことだけが、私のセルフケアになっている。言葉やうたを吐き出しているその間だけは、つらい記憶から解放される。それが私の実情なんだよね。
私が命かけて戦おうとしてるのは、本来必要ないはずの理不尽な暴力、それをなかったことにしたい組織、飼い主に間違いを間違いだと正直に言えない獣に成り下がったニンゲンに対して争っているだけだよ。
追伸
動画で使っている料理や野菜の写真は、私の手触り感や、ちょっとした失敗、そして憎めない甥っ子の姿。ちっぽけな人間の、本物の生活感を伝えたくて、自分のスマホ内の写真を使ってるよ。(あ、でも、あのベッドの石や花はもちろん違う😅)

ヘビロテ無限キャベツ🥬