私の母、小豆さんには、妙な教えがある。
「バケットを食べるときは、目を瞑って齧るのよ」
理由は単純だった。
過去に本当に、カリカリのバケットの欠片が目に入ったことがあるからだ。
ここまでは、まあ分かる。
いや、あまり分からないけど、事故としては分かる。
問題は、そのあとだった。
小豆さんはさらに真剣な顔で続けた。
「目に入っちゃったらね、そのまま取ろうとしたらダメなの」
ほう。
「パンは硬いでしょう。目を傷つけちゃうから」
なるほど。
ここまでは理にかなっている気がする。
そして小豆さんは言った。
「だから、まず目薬をさすのよ」
……目薬。
「そうするとパンがフニャッとするでしょう。それから優しく取るの」
待って。
眼球の上でパンをふやかすの?
私の脳内に突然、ものすごく小さなバケットが目薬を吸って、しなしなになっていく映像が現れた。
だめだ。
もうバケットを普通の目で見られない。
しかし小豆さん本人は大真面目である。
彼女の中ではこれは珍事件ではない。
事故を経験し、原因を分析し、再発防止策まで構築した結果なのだ。
① バケットの破片は飛ぶ。
② だから目を瞑る。
③ それでも入ったら、目薬でふやかす。
完璧である。
たぶん。
そして、話はここで終わらない。
我が家のバケットには、もう一つ妙なものがセットになっている。
皿である。
……いや、皿ではない。
これだ。

毎朝バケットを載せているこの物体。
何かというと、
豆乳パックを切り開いて乾かしたもの。
豆乳を飲む。
パックを洗う。
切る。
乾かす。
バケットを載せる。
洗う皿が一枚減る。
合理的である。
猛烈に合理的である。
しかし、
目を瞑ってバケットを齧る母が、豆乳パックの上でバケットを食べている。
そこだけ切り取ると、我が家の食卓には独自の文明が成立している。
昔はこういう小豆さんの言動を、
「また変なこと言ってる」
くらいに思っていた。
でも最近は、ちょっと見方が変わった。
小豆さんの妙な知恵には、だいたい理由がある。
誰かに教わった正しい暮らし方ではなく、
自分で一回痛い目を見て、自分で考えて、自分仕様に改造した暮らし方。
だから一般家庭で再現する必要は、たぶんない。
特にバケットの件は、できれば一生再現しないでほしい。
ただ私は次に硬いバケットを齧る瞬間、
小豆さんの声を思い出す気がする。
「目、瞑りなさいよ」
そして、ほんの一瞬だけ目を瞑ってしまったら。
……なんか負けた気がする。
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