カクヨムであのお仕事小説の続編を、公開しました!
あわせて、どんな思いでこの物語を書いたのかを綴った記事を下記noteにもアップしています。
▼「作品を書いた背景」を読む
[誰も責めない。ただ一組織人としての「違和感」を小説というフィルターで描いた理由]
今回の小説やnoteでは、組織で起こる思っていることのズレや、勝手な忖度、そこから生まれる違和感を綴ってみたよ。
実は「なぜか気持ちや行動が大きくすれ違ってしまう」という人間の滑稽さや切なさについて、私が強く考えさせられた原点が10年前にあります。
10年前のまさに、熊本地震が起きたときのことです。
当時、私がやっていたオンラインの相談窓口に、被災地からアクセスしてくれた方がいました。
その方は「キャリアが立ててくれた拠点に避難していて、そこでスマホを充電できる。ライフラインは一応あるけど、気持ちが不安だから、ただ普通の会話がしたくて繋ぎました」とおっしゃっていました。
過酷な状況の中で、少しでも日常の感覚を取り戻して安心したい。
そのSOSに触れ、私もただ目の前の言葉に耳を傾けていました。
ところが全く同じ日、地震の被害がない地域にお住まいと思われる方から、こんな文句が届いたのです。
「こんな大変な時に、なんで呑気にチャットなんてやってるんだ!」と。
(誰と何を話しているかも知らないまま、ただオンラインで話している状態に文句を言われました)
そのとき、強烈な違和感を覚えました。
当事者はただ「不安を和らげたい」「普通に話したい」と切実に求めているのに、遠くからその状況を見ている人は「不謹慎だ」「自粛すべきだ」という自分の正義感を振りかざして攻撃してくる。
自分が困っているなら、その困りごとを言葉にして助けを求めればいい。
けれど「誰かのための正義」を勝手に代弁して他人を責めることほど、意味のないものはないのではないか。
そう痛感した出来事でした。
人って、置かれた立場によって見える景色も、優先したいことも、驚くほど違います。
お互いに悪気がないつもりでも、ボタンの掛け違いや勝手な思い込みで、誰もが不幸になってしまうことがある。
今回の小説で描いた社内の人間模様も、根っこにあるのはこの「感情や思考のズレ」です。
誰かを責めたり告発したりするためではなく、そのズレの滑稽さをエンタメというフィルターを通して描くことで、読んだ人にスカッとしてもらえたらと思って書きました。
最後に、ひとつだけ。
10年前、あの混乱の中で被災地から私に繋いでくださった「あの時の〇〇〇さん」へ。
私は当時のあなたのハンドルネームも、交わした言葉も、全部覚えています。
もし今もどこかでこの記事を見ていて「また話してみたいな」と思ったら、いつでも連絡ください。
当時のハンドルネームを添えてメッセージをいただければ、10年前の気づきのお礼として一回分プレゼントさせてね!
人の気持ちや考え方が違うからこそ、ご本人の声を真っ直ぐ受け止めたいと思っています。
日常のモヤモヤを吹き飛ばしたい方は、今回の新作小説もサラッと読める文量なので、カクヨムでぜひ!

社内バグ(無能上司)を削除します 〜「指示書通りに作れ」と怒鳴る上司を、静かなログで完全消去した話〜
またnoteも、リンク貼らずに更新してる記事もあるので、フォローいただけたら気づきやすいかと思います。
直近だとあるお題に答えてます。
「点数なんて関係ねぇ」と叫んだ夜に、私がかぶりついた熱量。