自分を解剖するための箱庭——深海の底から綴る理由

ブログを開いたら、これでちょうど「2,000記事目」になっていた。
(企画ものや鍵付き記事を入れたら、もうとっくに超えているけれど)
せっかくの節目の記事だから、なんで綴ってるのか改めて書いてみたい。

最初は、ただ自分を取り戻すためだった。心や頭が限界を迎えたとき、自分の脳内をすべて掻っ攫ってくれるような強烈に好きなキャラクターや世界観に没頭し、そこからエネルギーを補充する。それが当時の私にとっての唯一の防衛本能だった。

でも今は、薬のバランスも良くリラックスできるようになってきて、書く目的が少しずつ変わってきている。頭をまっさらにして、思いついたことやふと思い出した記憶を、何も考えずにただ一気に書き出す。そして、バーっと書き殴った後に「で、これを書いてる今の私ってどんな心理状態なんだろう?」と後から自分を解剖する作業が、今一番楽しい。多分これのためにやっているんじゃないかな。

今の自分の心がどんな状態にあるかを知る「バロメーター」だ。心が安定しすぎている時に書く文は、面白みには欠ける。けれどそれはそれで「あぁ、今の私の心は、戦場を離れて静かな場所で呼吸できているんだな」と安堵する大切な時間でもある。

逆に、本当に辛いときや苦しいときは、狙ってその状態を作れるわけでもないし、作りたくもない。けれど、脳内からその毒や痛みを追い出すために、どんな形であれすべて言葉にして外へ吐き出していく。

(本当は今、一番書きたい「笑えないリアル」があるけれど、それはまだ渦中にあって(心理的にじゃなくて手続き的に確定してないことは書けないので)書けないのが苦しい。今のお仕事小説は、全然本丸ではない瑣末なエピソードを冗談まじりに書いているけれど、全てが終わったとき、自分がどうなっていてどう言葉にできるのか…そこまでドMにならなくてもいいのかもしれないけれど、やっぱり作品の中に閉じ込めることで、それを昇華させて終わりにしたいのだと思う)

語弊を恐れずに言うなら、私は「作り手がどん底に叩き落されたり、絶望した時に生まれた作品」に一番強く心惹かれてしまう。例えばミスチルのアルバム『深海』のように、作り手の内面が誤魔化しようもなく音や言葉に滲み出ているもの。あるいは、ちょっと中二病っぽくて、泥臭くてダサい部分すら隠さずに曝け出された時のエネルギー。あの潔さが、たまらなく心地いい。

「誰か一人に刺さればいい」という著者たちの言葉がある。けれど、私にとってその「たった一人」は、他でもない自分自身だ。

ここに綴る一番の目的は自分のセルフケアだし、好きな物語を書くことはその中のキャラが大好きで私がそれを考えてる間ずっとワクワクできるからだ。そこでも綺麗ごとで繕うのではなく、自分の感情を作品に閉じ込め、今の自分の立ち位置を確かめるためのプロセスなのだと思う。

次は、私自身が書いたキャラで一番好きなでもムカつく「桐谷」をまた描きたい。(どう着地させるか未知数だけど笑!)なぜレイは、あれほどまでに桐谷という存在に強く惹かれてしまうのか。これまで好きになってきた過去のドラマの主人公や映画のキャラクターたちを並べながら、また少しずつ、自分という人間を解剖してみたい。

noteはそんな気持ちをちょっとだけ、もう1人に届くよう企画に載せてみた。👇
自分を置き去りにしないための、小さな解剖の記録