今日はまた5時半に起きて、モーニングページをやった。
水が飲みたいを結構書いてた。
そして、やっと水が飲めた。
朝からあんなに飲みたかった水を飲みながら、ふと思った。
病院では、「もう飲みたくない」も、「あと少しなら頑張る」も、両方そのまま言える。
私は病院に来ると、少し子どもになれるらしい。
不思議だ。
そこで、ふと考えた。
病院では「もう飲みたくない」と言えるのに、普段、同じくらい素直に「もう嫌」と言えないのは、何が違うんだろう?
普段は、なんとなくちゃんとした人でいないといけないと思う。
でも、病院はなんか体がおかしい時に行くから、自然と受け取り手が、相手の気持ちを受け取る、聞く、どうするかを相手に聞くことがが染み付いているんだと思う。
病院で実際に「聞き手の能力って大きいな」と体感した瞬間、
……いや待て。これを職業としてこれからずっと背負うの、重くない?笑
が顔を出してきた。
私のしたいは、「私はあなたの話を受け止めます」って役割を背負って、ずっと聞き手席に座ることじゃないのかもしれない。
むしろ、
自分も好き勝手しゃべる。
ふざける。
思ったことを言い散らかす。
頭の桐谷と遊ぶ。
4コマ描く。(最近、こんなこんな4コマを出している)
小説を書く。
音楽もやる。
そこに来た人も、ちゃんとしてなくていい。
つまり「場を作りたい」という、旗の意味を真面目にしすぎてた。
「安心して自己開示できる場を提供する」って書くと、これは自分は「ちゃんとしなきゃ」ってなる矛盾…笑。
病院で私は、「子どもになろう」と努力しているわけじゃない。
相手が先に、ちゃんとした大人でいなくても成立する関わり方をしてくれている。
「そういうときもあるよね」
「やめますか?」
「水分いっぱい飲んでね」
判断される前に、状態を受け取ってくれる。
場の安心って、ルールよりそこにいる人の反応で作られる部分が大きいんだと思う。
だからこそ、私はちゃんとしない。
もしかしたら「私はここで勝手に遊んでます。君も好きにしてていいよ」くらいの方が、私には合っているのかもしれない。
重い話が出たら聞くこともある。
でも「私は皆さんを癒します」までは背負わない。
それなら、桐谷を好き勝手に遊ばせておける…笑。
今は、こっちの気分だ。
昨日、こんなのも書いた。
➤「隠さず泣いていいよ。」
じゃあ、マガジンまで作って、あんなに必死で書いたあの「旗」はどこへ行ったのか?
多分、なくなったわけじゃない。
旗を持って行進するのに飽きて、今日は地面に刺して、その横で遊び始めている。
そういえば以前、長く来てくれている人に、こっそり聞いたことがある。
「なんで来てくれるの?」
「佳音さんが何かやってるのが見たいからだよ」
そっか。
私はやっぱり、その日の気分で遊んでいたい。
そして、それを見て喜んでくれる人もいるらしい。
もし、もう少し話してみたいと思ったら。
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