こんばんは。
最近、とある人に「(私の)悩む内容が趣味って幸せだよね」と言われました。
ありがたいことに今はそうなるよう自分で行動を選択してきた実験経過ですが、昔はこんな発想すらできなかったです。
変わったのは、昔、粘着質な強力ガムが体中にくっついて動けなくなってた時に、そこから離れるきっかけを代わりにやってみせてもらって、1人では気づけない選択肢に踏み出せたからです。
それからは、現実的な悩みの火を都度消そうとするのをやめて、火種って何だったんだ!?を考えて「そっかーだからかー」って怪しいけど毎晩自問自答してました。
考えたくないことほど「なんでそこを選んだの?」「何がほしかったんだろ?」とか「何から逃げてんだろ?」とかぜーんぶね。
これしないと、自分の行動癖気づけないから、またよくわからない火中に(すぐに消えるぼやって認識で)飛び込んでなんとかしようとするからです。
丸焦げなるまで渦中ではわからないこともわかります。
で、やっかいなのは、解決能力が高かったりまじめな人(今は無能さも認めてますが、昔は自分がやらなきゃとかまじで思ってました笑)ほど、キャパオーバーなこともその場でなんとかしようとして(必死だからできてしまって)、逆に抜け出したいはずの環境に居続ける方向に働いてしまうんですよね。
一方で、逆に本人が望むことすら放棄して、満足しない環境にハマりやすい人の口癖は「だから自分は〇〇できないんですね」「▽▽って思っちゃいけないのはわかってるんですけど」「□□しちゃってすみません」が多いです。
(したいとも思ってないのに)そもそも〇〇しなくていいし、自由に▽▽思っていいし、思いっきり□□すればいいのに、自責め(するフリ)で他の考えたくないことから逃れてるだけなんですよね。
何かって、自分の「したい/したくない」に目を向けることです。
それと直面するのを避けるために、他人の目や誰かの「べき」を借りて、本来の自分じゃないことをするから苦しいだけなのにね。
「あれ?なんでお手してるんだ!?」